東京家庭裁判所 昭和42年(家)4908号 審判 1967年6月15日
申立人 山西悦子(仮名)
相手方 高田公一(仮名)
事件本人 高田良子(仮名) 外一名
参加人 山西健一(仮名)
主文
事件本人高田良子および同高田圭子の親権者をいずれも相手方から申立人に変更する。
事件本人高田圭子の疾病が治癒するまでの間、事件本人高田良子および同高田圭子の監護者をいずれも参加人山西健一と定める。
理由
一、昭和四二年(家イ)第一三一八号、一三一九号事件記録添付の各戸籍謄本、家庭裁判所調査官遠藤富士子の調査報告書並びに参考人山西孝および相手方に対する各審問の結果によれば、次の事実が認められる。
1 申立人と相手方とは、昭和三一年初め頃から事実上の夫婦として同棲し、昭和三二年一月二九日正式に婚姻届出を了し、その間に同年二月三日事件本人である長女良子および二女圭子の双生児を儲けたのであるが、夫婦間の折合が次第に円満を欠くようになり、昭和三六年六月六日当裁判所において調停離婚をし、その際、事件本人両名の親権者をいずれも相手方と定めたこと。
2 申立人は相手方と離婚した後、昭和三五年六月頃渡仏し、昭和三八年頃から肩書住所において日本料理店を経営するようになり、今日に至つていること。
3 申立人は、相手方との調停離婚の際、事件本人両名の親権者をいずれも相手方と定めることに同意したのであるが、この同意をするに当り、将来、事件本人両名を引き取ることができる状態になつた場合には、親権者を変更することを希望し、調停条項にも「申立人が二児を引き取れる状態に至つたときは、親権者変更につき、当事者双方は誠意をもつて協議する」旨がとくに付記されたのであつて、申立人は前記の如く日本料理店の経営が良好で、事件本人両名を引き取ることが可能になつたので、いずれ事件本人両名を引き取るため、親権者変更の申立てをする積りでいたこと。
4 相手方は、申立人と離婚後、その母高田キミ子および離婚後事実上の妻として同棲し、昭和四一年五月三一日正式に婚姻届出を了した現在の妻高田多佳子とともに事件本人両名を監護養育してきたのであるが、昭和四一年四月頃から事件本人高田圭子がリユーマチ熱から心臓弁膜閉鎖不全症、心臓弁膜閉塞症にかかり、長期間入院治療を要するところそのためには多額の費用を要することもあり、その処置に困惑していたこと。
5 申立人は、人を介して事件本人高田圭子の右病状を聴き、医者を開業している参加人の実兄山西健一に対し、事件本人高田圭子の入院治療のため、相手方に交渉して事件本人両名を引き取ることを依頼したこと。
6 参加人山西健一は、申立人よりの右依頼により事件本人両名の引取りを相手方に交渉したところ、相手方はこれを承諾し、昭和四一年一二月二六日事件本人両名を同参加人に引き渡し、以来、事件本人両名は同参加人によつて監護養育されていること。
7 相手方は、参加人山西健一よりの話で事件本人高田圭子の疾病を治療するためと、同参加人が事件本人両名を養子とするものであるとの了解の下に事件本人両名を同参加人に引き渡したのであるが、実際には申立人は、事件本人両名の親権者を相手方から申立人に変更することを相手方が了承するならば、事件本人高田圭子の疾病の治療を参加人山西健一に依頼し、その疾病の治療の間は事件本人両名の監護養育を同参加人に委ね疾病の治癒後は速やかに自己の手許に引き取る積りでいること。
8 前記の如く申立人と相手方との間に事件本人両名の今後の監護について考え方の相違があるが、審判手続中に申立人の実父山西孝および参加人山西健一と相手方とが話し合つた結果、相手方は何よりも事件本人高田圭子の疾病の治療が先決問題であるので、申立人側の如何なる希望条件にも応ずるとの意向を表明したこと。
9 事件本人両名は双生児であるので、事件本人高田圭子の疾病が治癒して、渡仏可能にならない限り、申立人が事件本人両名を引き取ることはできないと考えられ、事件本人高田圭子の現在の病状から見て当分の間事件本人両名は参加人山西健一によつて監護養育される必要があること。
二、以上認定した事実によれば、事件本人両名の福祉のためには、事件本人両名の親権者をいずれも相手方より申立人に変更し、事件本人高田圭子の前記疾病が治癒する迄の間、参加人山西健一を事件本人両名の監護者と定め、現在通り同人によつて事件本人両名の監護養育が行なわれるようにすることが必要であると考えられる。
よつて主文のとおり審判する次第である。
(家事審判官 沼辺愛一)